Q 居留地とは?
A 幕末にアメリカなどと結ばれた通商条約によって、条約締結国民に居住と営業が許されるエリアのことを「外国人居留地」、略して「居留地」といいます。居留地では外国人に借地権と建物の所有権が認められましたが、土地所有権は与えられませんでした。
Q 開港場と居留地の関係は?
A 外国人のために港と市街を開く場所を開港場(かいこうじょう)といい、その市街のことを居留地と言います。開港場は函館・横浜・新潟・神戸・長崎に設けられました。市街だけ開く場所を開市場(かいしじょう)と言い、東京と大阪に設けられました。条約を結んだ時には、開市場では借家権のみ認めるはずでしたが、実際には東京でも大阪でも借地権が認められ、居留地が設けられました。
Q 横浜の居留地は?
A 横浜には山下居留地(現在の山下町と日本大通の東側半分)と山手居留地(現在の山手町)がありました。横浜には雑居地(外国人が日本人とともに居住を許されるエリア)はありませんでした。
Q 居留地に日本人は住めなかったのですか?
A 居留地は外国人のために設けられたものですが、日本人も許可を得て居住・営業することができました。
Q 関内と居留地の関係は?
A 横浜の開港場の中心部は川と海で囲われており、1871(明治4)年まで、出入のための橋のたもとに関所があって、不審人物を取り締まったので、「関内」(関所の内側)という呼び名が生まれました。関内の東側半分が山下居留地に当たります。昔は山下居留地のことを関内居留地と呼んでいましたが、関内=居留地という誤解が生まれたので、現在は山下居留地と言います。ところが今度は、関内居留地の一部が山下居留地だという誤解が生まれつつあります。そうではなくて、昔関内居留地と呼んでいたものを、現在は山下居留地と呼んでいるのです。
Q 開港場・居留地と関内の関係は?
A 横浜の場合、開港場の範囲はじつははっきりしないのですが、山下・山手両居留地がその中に含まれることはあきらかです。開港場・居留地は条約に基づく制度上の概念なのに対して、関内というのは地形に基づく地理上の概念であり、無関係です。それなのに、開港場=関内という誤解が生まれつつあります。そうすると、山手居留地が開港場の外に存在するというおかしなことになってしまいます。
Q 横浜以外の居留地は?
A 長崎には横浜同様居留地のみ、神戸・東京・大阪には居留地と雑居地、函館と新潟には雑居地がありました。雑居地を含めて、広い意味で居留地と言う場合もあります。
Q 居留地時代とは?
A 横浜の場合、開港より少し遅れ、1860(万延元)年初頭、現在の山下町の一部に居留地が設けられ、順次拡張されました。条約改正の結果、1899(明治32)年に廃止されます。しかし、1923(大正12)年の関東大震災まで、旧居留地には居留地時代とあまり変わらない街並みが存在していました。